2023/08/29 15:28
どんなことでも、下準備が8割と言われますね。
コーヒー屋を日々運営していても、日々感じることもまさにそれです。
店頭に立って、お客様にコーヒーをブリューしたり、エスプレッソを落としたりしている時間は
僕たちの日々の活動の2割程度に過ぎないかもしれません。
その2割の時間のために、8割の時間を使って下準備を行うわけです。
先日、店内で焙煎の"準備"を行なっている僕の姿を見ていたお客様から
「え〜!そんなことまでやってるの?そこまで細かくやっているのなら、そういうことをもっと発信すればいいのに!」
ということをおっしゃって頂いた"準備"がありました。
【ハンドピック】です。
ハンドピックとは、コーヒー生豆(なままめ)の焙煎を行う前に、生豆に混入してしまっている虫食いの豆、枯れている豆、カビてしまっている豆などのいわゆる”欠点豆”を取り除く作業です。生豆を一粒ずつ目視で確認して、一粒ずつ取り除いていく作業です。
地道で気が遠くなる作業ですが、これをやるのとやらないとではコーヒーの味わいに雲泥の差が生まれます。
以前は、この作業のことをしっかりお伝えしていたのですが、ひと昔前は宣伝の一つとして売りになった「ハンドピック」も今やどこのお店でもやっていることですし、焙煎士にとっては"当たり前"の作業なので、声高にお伝えする必要もないかな?という気になっていました。
でも、お客様からすると、こういう作業こそ知りたい作業なんだな、ということがわかり、今回のブログを書くことにしました。
スペシャルティコーヒーが全盛になる現在においては、生産地で丁寧な「ハンドピック」が行われていますので、手元に届く生豆にそれほどの欠点豆が含まれているわけではありません。
特に、当店の取り扱わせていただいているベトナム産のファインロブスタ、スペシャルティアラビカは、Qグレーダークラスですので欠点豆は生豆1kgに対して数gに過ぎません。いつもハンドピックを終えたあとに、欠点豆の少なさに農家のワーカーさんのがんばりに頭が下がる思いです。
とはいえ、農家さんから、インポーターさん(輸入者さん)へバトンが繋がれ、小売である僕たちの手元に届く生豆について
お客様の手に渡る前の「最終段階」に位置する人間として、出来うる限りのことはしたいと考え僕たちも最後の「ハンドピック」を丁寧に行なっています。
以前に、たまたま来店された同業の方が僕のハンドピックの様子を見て
「そこまでやる必要はないと思いますよ。少しくらいなら味にはあまり影響しないんだから。」と言われたことがあります。
でも、僕たちとしては「そういうことではない」という気持ちでいます。
具体的に言えば、味に関係がないとしても、欠点豆の成分が身体に入ってしまうことを良しとしない、ということです。
特に「カビ」の成分は、熱でも滅しないものもあります。そういうものは人体の中で繁殖してしまう可能性があることが、科学的にもわかっています。以前に、店主が別に運営しているnoteにそのことを書いたものがありますので、よろしければそちらをご参照ください。
ファインロブスタの生産者であるFuture Coffee FarmオーナーのToiさんに
コーヒー豆の生産において、一番気をつけていることはなんですか?と聞いたことがあります。
そのときのToiさんの答えは、「健康に対する安心と安全だ。」でした。
もちろん、おいしさの観点におけるクオリティは「大前提」です。でも、それだけではダメだ、ということです。
僕自身も、それについてとても共感をしていますし、Toiさんの「在り方」を師として見習っているところです。
少し話が逸れますが、Toiさんは、それをさらに具現化すべく第二のFuture Coffee Farmを現在のバオロクという場所とは別に
ダクノンという場所に開拓しています。その農園では「完全オーガニック」有機・無農薬のコーヒー豆の栽培を目指します。
現在も、可能な限り有機・無農薬での生産を行なっていますが、近隣の農家さんが農薬を使っていることから、オーガニックと謳うことはできません。そこで、この新たな農園の開拓という夢・プロジェクトがスタートしたのです。
僕自身も6月にそこを訪れてきました。
広大な土地に豊かな赤土が広がる光景に、より安心・安全で、さらにおいしいコーヒーが生まれる光景をイメージしてとても感動しました。
その土地で収穫できるのは、今から5年後。
長い年月が掛かり、さらに多くの人の手が携わりおいしいコーヒーは生まれます。
生産者がより良いものを目指して作っておられるのですから、ロースター(焙煎所)が手を抜くわけには行きません。
生産者さんの笑顔と、お客様の笑顔を両方イメージして、今日もしっかりと焙煎しています。
それこそが生産者とお客様の途中・THE MIDFLOWに位置する僕たちのやりがいであり、幸せなのです。